「ミも蓋も ないわけじゃない」
前回試みたペアでいろんな状況設定、人物を想定して台詞を書くワーク「きミとかミ」がなかなかおもしろかったので、その展開として「ミも蓋もない訳じゃない」というワークをやってみた。
4人1組になり、予め状況や人物の設定をせずに台詞を書く。そして例えば「いよいよ寒くなってきたな」ときた場合「本当薄着で来ちゃった」とか「あったかいものが食べたいね」というふうに返答する、のではない言葉を積極的に返す会話を書いていく。
つまり「いよいよ寒くなってきたな」「塊と魂って似てるよね」「もうちょっとで手が届きそうなんだけど」「左が龍神だっけ」「あ明太子派?」というふうに。
前の言葉の意味を積極的に切断する、あるいは正面から受けずかわすようにして脱臼した会話を4人で回しながら編成して行く。それぞれが固定のキャラクターを担う必要はなく、人格に一貫性も求めない。ただ前の言葉との駆け引きに焦点を当てる。その中で時々意味の通じる部分が出てきてもいいし、相づちや笑いなども入っていい。
50分ほど書くための時間を取って1枚の用紙に4人で回しながら書いていく。1枚あたり20行の用紙が50分で3組それぞれ4〜5枚分、台本が出来上がった。出来たものを人数分コピーする。
次に別のグループと台本を交換し、書かれたものを4人で回しながら声に出して読んでみる。続いてそれをどういう姿勢、距離、フォーメーション、で読むのがいいかをまた50分くらいで考えて探す。そうして動きがついた状態で発表する。なので見る人は自分たちの書いた言葉が発話され、パフォーマンスされるのに立ち会うことになる。
台本の言葉に脈絡がなくても書かれたものから動きは引き出す事ができる。内容を説明する身振りではなく、予め意図してなくても台本に生まれてしまっている性質を読んで抽出するような感じで。人に読まれて初めて気付くことはいろいろあり、意味の切断/脱臼を積極的に試みても、声に出されて読まれるやりとりになると、なんだか疎通しているように見える傾向にあった。
最後に交換した台本を元に戻し、自分たちで書いた台本から別グループが作った動きを伝授してもらって、実際パフォーマンスしてみる。一度他者の体を介した言葉を、方法ごともらって自分に返すことで生まれる書いたものとの距離の取り方は、人の姿を借りて自分をまた転写するようなところもあり、また他者の書いた言葉を発話することと、自分の書いたものを自分で発話する感覚の違和と親和があった。パフォーマンスを見ていると書いた本人が発話することがしっくりくる場合と読まれた方が聞こえる場合もあった。
たまたま読んだ部分と読み手の相性がよかったことも多少あるけれど、みんなどちらかというと合ってるように見える。発語されるとどうしても個々に引き寄せられるのか、偶然と思えないようなはまり方をする場合も結構見られた。
言葉は意味から逃れられないけれど、意味との付き合い方をズラすことはできる。玩具的用法は日常レベルのコミュニケーションでは役に立たないかもしれないが、そういうことを介して肥やされる言語の畑がある。
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